sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

飽きるまで続く謎連載〈第2回〉

駅前のロータリーからこの坂に入ったときにあの本のことがよぎった。あの本ってどの本かはわからないけど、今日もあるのかなあれ、緑色の、あの、ウインドウの隅っこの、眼鏡屋?そうだ眼鏡屋、どこだったっけ、僕はあごを突き出すようにしてすこし先のほうを見る、銀行の白い建物が見える、あのへん、あの白い四角の近くに眼鏡屋があった、とつぜんあったことになった、確かに見た、と思う、僕にはあのときの筋肉の記憶がある。ある?途端にあやしくなる。本当にあったかな。1、2、3、4、もう僕の目は足もとにはめ込まれた平べったい長方形の石を数えはじめている。ちゅういけっかんたどうせい。石はほんの少しだけ盛り上がっていて、僕の足の裏を靴底越しに押してくる。この坂には車が入れないようになっている。昨日僕はここを歩いていない。眼鏡屋をはじめて見たのはたぶん火曜日で、昨日は水曜だから作業場は休みだ。月・火と行って、水曜が休み。木・金と行って、土・日が休み。休みの日に僕がこの駅で降りることはないし、というか電車に乗ることだってほとんどない。昨日いちにち休んだだけでもう筋肉の記憶はぼやけて何かと混ざりかけている。果物屋も、僕はもう果物屋の前を通り過ぎたあとだけど振り返って見なくても果物屋をこうして指し示すことができる、不動産屋も、これは真横にあるから軽く眼球だけ動かして見ることができる、どっちもここに間違いなくある。眼鏡屋はこの坂のどこにもないかもしれない。なんでだろう。

左の建物と建物のすき間からなにかが飛んできたような気がしてとっさに僕は左の肘を振りあげて、両手を顔の前で交差させて頭を守る。背骨の両脇の筋肉がきゅっ、と締まる。こういうときはだいたいカラスなんだよな。それかカラスよりひと回り小さい鳥。カラスじたい鳥じたいじゃなくてその影、飛んできた影が僕をかすめて反対方向へ去っていって、なんだあ、とか独り言を言って僕は背中の緊張を解くことになる。いま飛んできたのはだけどカラスでも鳥でもなかった、建物と建物のすき間のずっと奥のほうからそれはきていた、なにか「気」のようなもの、「気」とかいうといきなり怪しい感じになるんだけど。でもやっぱり「気」でしかない。いやせめて「気配」とか?僕はそこで止まって、かかとを軸にしてくるっとからだを回して建物と建物のすき間のほうへ向ける。真正面から見ると、すき間のずっと奥のその向こうは開けた空間になっているのがわかる。明るさと、空気の動きでそれがわかる。黄緑色のものがたくさん集まってひとかたまりになっている。ここからはそのほんの一部が見えている。はくさい、と声に出したりはしていないけど僕にそれがよぎったとたん黄緑色のかたまりはかたまりではなくなって、白い筋がランダムに入っていて虫に食われた穴がたくさんあいていたりもする葉っぱの1枚1枚をぎゅっと巻き込んでそれはそこに生えていた。こんなところに畑あったんだ、

さっき飛んできた「気配」は白菜のそれじゃなかった。