sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

支払った額が本気度をあらわすという設定

わたしはわたしがいま払えない値段の本はつくらないし、わたしがいま払えない入場料の会は催さない。だから何だということではないけどそれはずっとそうしている。もちろん「払えない」わけじゃなくて、かき集めたり少し思い切ったりすれば払うことはできるだろう。だけどそれを払うことで生活のどこかにしわ寄せが来る。そういう値段がつけられない。それがいいことともわるいこととも思っていない。

その「かき集める」ことや「思い切る」ことがその人の本気度や覚悟のようなものをあらわしているんだ、という設定でものを言う人はけっこういる。けっして安くない額を払って参加するのだから学ぶ気があるということだ、自分を変える気があるということだ、というような。それから、自分のつくったものに自信を持って正当な価格を設定できるのが本物の証、みたいなことを言う人も見たことがある。どっちもたしかにそうなんだろう。「正当な」ってなにかな?とも思うけど。

本気度や覚悟やつくったものに対する信頼、と呼ばれるようなものがあるとして、それを支払われた金額で計るのにはわたしは馴染めない。それで計ることもあったっていいけどそれだけしかないんじゃつまらないと思っている。結構な額を払ったり払われたりしないと本気になれないという設定がもしあるのならそれは外したいし壊してみたい。

場所代や交通費や材料費がこれだけかかるのだから結構な額を取らざるを得ない、というのはまた別の話としてあるけど、それはもし気が向いたらまた別のときにするだろう。