sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

居合わせたどの人間にもそれぞれに演者と観客が宿るから誰ひとりとして受け身一辺倒ではいられないはずで、

お金を払うことで見返りがあるのが当然、という考えが行き渡ると、見返りの大きさは払った金額に比例するものだと考える人があらわれる。ツイッターに“推し”がどうのこうのみたいなことを書き込んでいる人が「こんな高いチケ代払ってるんだから○○してくれて当然」とか言い出す場面を見かけたことが何度もある

イベントや興行は「お客さん=チケット代を払って入場した人」を楽しませる・喜ばせる・満足させるもの?

わたしは自作曲を自室以外の場で演奏しはじめたハタチくらいの頃から、「舞台上の演者に楽しませて・喜ばせて・満足させてもらおう」としている人々の「前」で何かをすることがおもしろくない。そこには創造がない。「前」は絶えず入れ替わる。そこに居合わせた人のあやとりが場をつくる。あやとり。きみまろマナーでお客さんをいじるとか常連客が合いの手を入れるとかそういうあれのことではなく、

舞台にあがっている演者は演者で観客は観客なのだけどそれはつねにピシッと二分割されてるわけではなくて、その場の核あるいはスターターとなる演者がいるとしてその核の動きを触媒にして観客も動くし、居合わせたどの人間にもそれぞれに演者と観客が宿るから誰ひとりとして受け身一辺倒ではいられないはずで、

文にしてしまうと大げさすぎるようにも思うけどわたしは「お客さんの期待に応えなきゃ」というふうにやったことがないし、演者も観客もそう思わされるあれはトラップなので踏んではいけない、といろいろ工夫しながらやってきた

しかしこのことを誰かと話せたためしがあまりない