sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

「売る快感」「並べる快感」は誰のものか

わたしは日々商売をしているから実感をともなって書くのだけど、といってもわれわれが商っているのは鶏卵のみだけど、「ものを売る才」って人それぞれで、まったく同じ条件下で同じものを売ってもたくさん売れる人とあまり売れない人が出てくる。個人の「能力」というよりは気質?体質?あとは時代やしくみとの相性とかいろんなものの組み合わせであらわれる「才」の模様をたんに「向き不向き」とかで片付けてしまうのもなんか違う気がする。いっぱい売ったからすごいとかでもない。

少し前に「売る快感」というキーワードを見かけてそこから動いたものをブログに書こうとして、そのキーワードは高松のYOMSという古本屋さんのツイートから拾ったものだったんだけどツリーになっていた該当のツイート群がものすごくバズり散らかしているのに気付いて書かずにおいといた、ということがあった。

「売る快感」「並べる快感」っていうのは確実にあって、わたしが小学生のころ学校の授業でいちばん、いちばんというか唯一かもしれない楽しかった授業は商店のシミュレーションをした回だった。たぶん社会科、もしかすると家庭科?もう忘れたけど、その日その時限だけの特別な実習、昼休みの掃除のときみたいに机も椅子も後ろに下げて、個人でだったか班ごとでだったかこれも忘れたけどそれぞれが店を営んでるという設定で店舗に見立てた机の上に商品を並べ、値札をつけ、教室内で手作り貨幣を流通させ、買い物をしたり接客をしたりし合ったあの授業は本当に楽しくて一瞬で終わりのチャイムが鳴ってしまって、その授業はその日限りだったからとてもがっかりしたのを覚えている。何が楽しいって「売りたいものを並べること」。あんなにおもしろいことなんだってあのとき初めて知った。貨幣が流通して回っていくのもおもしろかった。

わたしがいま毎日売ってる卵なんかは、生活必需品と呼ばれるようなどちらかというと切羽詰まった部類の「売ってくれ!」だから売る才があまりなくても置いとけば割と売れる。それが一般的に「おいしい」ものならなおさら。でも、たとえば小説が収録されている本とかはそれとは少し違っていて、たぶん売る人の売る才が売れ行きを大きく左右する。だけど本が売れなければ「書いたやつに才能が無くて本がつまらないからだ」とか言われたりする。著者って不憫ですね(笑)別にわたしが言われたわけじゃないからこれはまあ妄想ではあるんだけど、でも「おもしろい本だから売れる」っていう神話を信じてる人も多いんじゃないか。「おもしろい」って何だろう。世間の/消費者の/受け手のニーズとかをきちんと分析・把握できて、「おもしろい」ものを書いて「おもしろさ」をしっかり示せる書き手、売り手の売る才を刺激できたり、売る快感にまで目配りできる書き手、確かにそれも才のひとつで、だけどぜんぜんそうじゃない書き手もいるからおもしろい。

これ以上書いてもつまらないからやめにしよう。

「売る快感」「並べる快感」は誰のものかって考えたら著者のものじゃないことは明白で、こんなぱっとしないご時世で何の成り行きかわからないけど率先して「売ること」をやってる人たちはせっかくなんだからその快感を遠慮なく、貪欲に、まるごと味わうのがいいと思う。どんどんやっちゃえ。そういう場にわたしの書いた本もちょこっと居合わせていたらとてもうれしいし、実際にもうそうなってる。