有名人の反対の、無名人、「伝えよう」として発するのとは違う声、そういう《生きている》もここにはある。その証人、目撃者には誰でもなれる。インタビューを受けるので久しぶりに『ジドウケシゴム』を読み返したらザラマンゥの姿が新しかった。1年半の間に遭遇したいろいろな場が編み込まれたからか
『ジドウケシゴム』の寄せ集めの者たちが寄せ集まっているあの天幕は、円形劇場、常設ではないその場限りの、時が来れば解体されて跡形もなくなる。入れ替わる。散り散りになる。種は運ばれてどっかで芽吹く。本のかたちでリリースしてから1年後に遭遇した札幌の山下さんのラボの場もそれと似ていた
居合わせた者たちでこぢんまりと食べるものや飲むものを分け合うさまもよく似ていた
「だから何?」って聞いてくる人がいたら、ただそれだけ! って教えてあげたらいい