sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

その名乗りを信頼した人だけが行ける場所で

ジドウケシゴム』は「わたし」が見た動きした動きが書き連ねられていく小説でその「わたし」が「わたしはザラマンゥ」としょっぱなで名乗りをあげている。その名乗りを信頼した人だけが行ける場所でイヤレ、ハビ、エイェという音であらわされる者たちが《生きている》をやっていて、エイェはこの本が書かれたところでは数人いる。誰かが《生きている》をやっている、その動きそのものはいつだっておもしろい。わたし(これは今これを書いているこの、わたしのこと)にも覚えがあるけど、《生きている》をやるうえでこの人物はなぜこんなことを言ったのかとかこれはどういう意味かとかここにあるこれは何だろうとかいうことをいちいちぜんぶ考えたりはしていなくて、フォーカスしていないところにもつねに《それ》はいろいろ、ある。ザラマンゥだけがこの生活者たちのことを「この寄せ集めの者たち」と呼ぶ。ザラマンゥがそう呼ぶとき、誰がその生活者たちをそこに寄せ集めたのだろう?「この寄せ集めの者たちは移動の中を生きている」と言うときザラマンゥは、移動のどこにいるのだろう?