sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

カバーの話つづき

昨日書いたブログ(これ)を読んでくれた東郷清丸さんから補足情報が寄せられた。清丸さんは買った本のカバーを外しはするのだけどその外したカバーを収めるバインダーを自作しているのだそうだ。それから虹霓社の古屋さんからもタレコミがあり、古屋さんが自分のリリースする本にカバーをかけるのは返品された本が汚い(ことが珍しくない)というのが大きな理由とのことだった。昨日の記事で、売り物の本にカバーをかけたくなるのは汚れたりヤケたりしたときもカバーだけかけ替えればそのまままた売り物にできるからじゃないか、というわたしの推測を書いたけどおおむね合っていたようだ。

古屋さんいわく、返品されてくる本の中には「え?こんなに?ならもう書店に置かなくてもいいかなって思うレベル」の汚され方をしているものもあるのだそうで、返品については少し前にこのブログでも書いた(この記事)けど、売れ残ったから/売れなかったから作り手に返しますね〜というこのシステムがわたしはあまり好きではない。ていうかそこそこ嫌い(笑)そりゃ、たいして売れないものまで全部小売店が買い切って仕入れていたら不良在庫の山で身動き取れなくなっちゃうよ!というのはわかる。規模の小さな小売店にとっては返品のシステムは命綱になるのだろうし、それがあるから「とりあえず店に並べて売ってみよう」というチャレンジがしやすくなる。それはわたしもわかる。

やっぱりそこでキモになるのは、扱われているのが品物それじたいなのか、それとも帳簿上の数字なのかの違いなんじゃないか。月に何冊までは返品できるっていう契約になってるんだから!と、いうふうに数字だけを扱っている人というのがこの世には一定数いて、きっとそういう人が信じられないくらい汚れた本を平気で返品してくるのだろうし、いっぺんに何千冊、何万冊と刷ってる大企業にとっては汚れた本の1冊や2冊なんてないに等しいものなのかもしれない。

駄菓子屋をしている友達のことを昨日ブログに書いたけど、何か月か前に彼女が仕入れて店で売ってくれていた『ジドウケシゴム』が何かのアクシデントで汚れただか濡れただかしてしまったことがあった。友達は最初理由を言わずにまた1冊仕入れたいからよろしくね!と連絡をくれたんだけど、よくよく聞いたら陳列していた冊子が汚れてしまったからこれは自分の読む分として買いたい、店で売る分を改めて1冊仕入れたいということらしかった。書店でもないお店で、売れる保証なんかひとつもないわたしがつくった本を買い切りで仕入れてくれて、汚れないようにカバーを自作してかけてくれていた友達は、確実に品物それじたいを扱っている。

わたしは自分の本について「何かピンときたら、売ってみたいと思ったら仕入れてください」と繰り返し言ったり書いたりしている。「置いてください/置いてあげるよ」でもないし「仕入れさせてください/仕入れさせてあげるよ」でもないやり取りがしたい。売りたいなーって気がない人に無理に売ってもらうのは本にとっても関わる人にとってもきっといいことじゃない。1冊1冊丁寧に扱えるのが理想ですけど、現実には無理なんです。忙しくてそこまで手は回りませんよ。そうですよね、わかります、わたしの本はちゃんと暇な人だけに取り扱ってもらえればそれでじゅうぶんです。ちゃんと暇、は、時間がかかっても1冊1冊やれるってこと。本が汚れても平気でそのまま返品できちゃうなんて、やっぱり全然いけてない。そんな忙しさなんか捨てちゃえ!あっかんべー。わたしの本にはカバーをかけないことにした。ってことは、本を数字として扱う人とはやり取りしないと決めたってことだ。別にこれは主義ではなくて、やなもんはやだから仕方がない。