sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

「近いというよりあれは完全無欠のデモテープです」

これがいいことか悪いことかそのどちらでもないのかはわからないけどわたしはこどものときから「これをこのようにするためにこれをこうしてこっちをこうするぞ」という風に何かをやることができない。じゃあどうやるのかといえばとにかくバーン!とやってしまう。やってしまうのはともかくとして、それを少しずつ練り上げていくとかそういうこともあまりしない。練れば練るほどバーン!にはあった《  》が消えてしまう。できるのはバーン!とやってしまってからそのそれに対するわたしの反応を見る、動いていたらそのまま続ける、動いていなかったらやり直す、やり直さず終わることもある、動き出したのがもう動かなくなったらそこで止まる。止まったところで世に放流する。とりあえずさらす。バーン!までがとにかく早い。待てない。するぞとかよりも前にやっている。それで失敗することもよくある。止まってから放流までも早い。待てない。今は知らないけど昔は音楽をやっている人たちがデモテープというのを世にぽんぽん放流していた。「売り物のようなクオリティ」とかに吸収されるよりもずっと前の段階のものがどんどこ売られていた。わたしの家にも全国各地、ときには海の向こうからもばんばん送られてきていた。わたしはそのすべてを必ず一度は聴いた。中には別にわたしに聴いて欲しいわけじゃなくて「じんみゃくづくり」「つながりづくり」みたいなことで送ってくる人もいた。いたらしいというのはあとになってわかった。だけどわたしは送ってきた動きを無視できなくてそこにはとりあえず応えないと気が済まなかった。再生ボタンを押して30秒くらいがんばってギブアップすることもある。何年も経ってからダンボール箱に詰め込まれた謎テープを発掘してひとり試聴大会を開催したりもする。それでまた30秒くらいでギブアップして笑ったりする。世に出回っているのが「ちゃんとした完成品」ばかりではたぶんだめだ。なんでかは説明できないけどたぶんだめ。今年の1月に『ジドウケシゴム』を冊子にすることにして朗読即売会の日程を決めてしまってから表紙の版画を刷っていたとき、わたしは非公開のSNSに試し刷りの写真をあげて「音楽でいうとデモテープに近いかな」と書いていた。11か月経った今は「近いというよりあれは完全無欠のデモテープです」と自信満々で言える