sasshinoyoberu’s blog

よしのももこ&冊子のヨベル

主成分は「勘違い」

そういえば何十年も前にイタリア在住のイタリア人の男の子がつくった曲をわたしとその子とで歌った録音物をレコードにしたよなあ、と何日か前に湯船に浸かりながら思い出して風呂あがりにレコード棚を探したらすぐに見つかった。1996と書いてあるから1996年にリリースしたんだろう。Pacioと名乗るその男の子は、「男の子」などと当たり前のように書いているがこの人物がどんな人物なのかをわたしはまったく知らなかったし今も知らない、とにかくその彼は1994年にカリフォルニア州のレーベルからリリースされたわたしのバンドのレコードをなんらかの方法で手に入れて聴いて「めちゃくちゃいい!!!俺Pacioってんだけど!俺は今もうれつにブチあがっている!!Momokoサンあんたまじ天才デスヨネ?!?」みたいなノリのエアメールをうちに送ってよこした人物だ。エアメールとは航空機で異国から運ばれてくる手紙のことで電子メールじゃない。電子メールとかいま言わないか。便箋、封筒、切手、のあれ。合衆国のインディペンデントレーベルから出た謎バンドのレコードを聴いてわざわざ遠い遠いGiapponeまで手紙を送りつけずにはいられなくなるほどブチあがった、ということだ。うける。

あのときはそういういわゆるファンレターがいろんな国から届いて、わたしも普通にエアメールでお返事を書いていたけどその後も断続的に文通が続いたのはPacioくんだけだった。やり取りしているうちに1曲いっしょに録音しようという話になった。経緯はぜんぶ忘れた。イタリアの自分ちの部屋でギターを弾きながら歌った彼の鼻歌を収録したカセットテープが青梅の山裾のわたしの家に送られてきて、メトロノーム的なものも一切使っていない、かちっとした構成におさめる以前の、ただただどーっと流れていく水のようなPacioくんの鼻歌を聴いていてよぎったものを拾い、ふくらませ、呼吸を感じつつハモり、ドラムマシンのパッドを手打ちしてリズムをつけ、とやったものをレコードに入れた。果てしなく遠い2地点にお互いの人体があっても、死ぬまで会うことがなかったとしても、つくられたものがつくったものから巣立ってさえいればそれはとんでもなく膨大なものを瞬時に伝える装置になるから宣伝にいくらかけたかとか何万枚売れたかとかそういうのは実は関係なくて、つくられたものに触れた人間がブチあがって海や大陸を挟んで手紙が行ったり来たりして呼吸を感じつつ一緒に歌う、みたいなこういうことは起きる。それもわりと簡単に起きる。そのすべてはなんかの風の吹き回しで偶然起きる。主成分は「勘違い」だろう。わたしはハタチそこそこの時点でそのことを知ってしまった。そういうことは起きて当たり前だというほうの《生きている》をやっている。